マスクをすると、なぜかちょっと安心しませんか?マスクとサイクリングの共通点。
DKです。今回はマスクとサイクリングについての雑談です。昨日から私、遅ればせながら花粉を警戒してマスクをしています。
マスクをしながら感じること。それは匿名性が増すなあ( ´∀`)ということです。顔の面積のうち、鼻と口を含めて結構な部分が覆い隠されることで、保護されている安心感があります。
以前「若い女性がマスクをすることで、化粧をする手間を省く」というニュースをみたことがあります。私も休日にずっとマスクをすることが分かっていれば、髭剃りをサボってしまいそうです。もっと言えば、マスクをすれば誰だか分かんないよね!と割り切れば、寝ぐせ全開でも外出できると思います。なお、今でもサイクリングに出かける際には、寝ぐせ頭にヘルメットを装着していることは内緒です(´Д`)。
職場でもマスクをして仕事をしている人は珍しくありません。風邪などに感染したくないから予防のためにしている人、リアルに風邪をひいている人など事情はそれぞれですが、中には自分を精神的に防御するため(=安心感を得るため)マスクをしている人もいるかもしれません。
ただ、相手がマスクをしていると表情は目だけになりますので、かなり感情の変化が読み取りにくい状況になります。「目は口ほどにモノをいう」と言いますが、私の経験からすると目だけでは、微妙な判読は難しい印象があります。逆に、目と口などのパーツは、合わせた動きで人間の感情を表す、とても優れた役割も担っているのだなあと感心します。
最近のニュースで、どこかの市役所の窓口業務で「市民に失礼だから、窓口の職員はマスクを外して来客対応する」という話題をみました。職員にどこまでこれを強制できるかなどの論点はありそうですが、問題意識として「窓口の人がマスクをしていると表情がよく分らず、来客した人に一定のストレスを与えそうだからマスクは外した方が良いのではないか」というのは私自身共感できます(いや、そういう趣旨じゃないかもしれませんけど)。
そして、話は展開してサイクリング。こちらも花粉の時期は特にですが、サングラス、ヘルメット、マスク、ネックウォーマーなどで完全に顔が覆い隠されているライダーをみかけることも良くあります。自分の顔を覆い隠すことによる匿名性の確保は、安心感をもたらすのかもしれません。
以前、私のブログでも「荒川サイクリングロードで開催されていた中学生の駅伝大会の先頭集団に、私が自転車で突っ込んでいって疑似ヒーローになったお話」を紹介しましたが、その際も素顔だったら気まずくて仕方がなかったと思われますが、実際にはサングラスをしていたお蔭で、とても落ち着いてヒーロー気分を堪能できました。そこかよ!(*`Д´)ノ!!!という突っ込みはなしでお願いします。
とりとめのない話をしてしまいましたが、言いたかったことは、以下のとおりです。
【1】マスクで顔を覆い隠すとか、自転車での顔面フル装備による匿名性の確保は、個人差はありますが、人に安心感をもたらすのではないか。
【2】一方で、それは相手に一定のストレスを与えるのではないか。
【3】その結果、相手との関係では、快適性をどちら側に引き寄せるか(ストレスをどちらに押し付けるか)、ということになりそう。
怖い人が往々にしてサングラスをしていたり、いかつい車がスモークガラス(外から見えないガラス)に改造していることにも通じそうです。
でも、その匿名性と引き換えに、何かを失っているような気がするのは、私だけではないはずです。何事もほどほどにというのが結論でしょうかヽ(・∀・)ノ。
今回の話のまとめ:
マスクをしてみて、なんか安心感あるなあと感じたので書き始めたのですが、こんな話に展開してしまいました。だから何?という厳しい突っ込みはご勘弁願いますm(__)m。
Come Again!